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25件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-04-07 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

柳田国男氏や渋沢敬三氏、折口信夫氏などの民俗学者の考える民俗をベースに、その中から行政保護対象としたのが民俗文化財なのであります。  私が思うに、民俗文化財は、定義すれば、各地域の人々が上の世代から受け継いできた生活文化民俗のうち、行政保護対象としたもので、中でも無形の民俗文化財は、今を生きる人々の行為や言葉、感情などの形のない部分ということになると考えていますが、御見解をお伺いします。

神山佐市

2017-02-08 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第1号

私の理解では、戦争中に渋沢敬三さんのお宅に滞在しておられて、それが今、財務省の三田公館になっていると、そういう縁もあるかと思っておりますが、いい話を伺いました。  それで、今日はインドと中国の話伺いましたが、一昨年、中国に行ったときに、習近平さんから、アジアインフラ投資銀行一帯一路お話、十五分、二十分ぐらい超党派の議員で伺いました。  

藤田幸久

2005-10-11 第163回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第4号

金融の、日銀総裁まで務められた渋沢敬三さんという人を皆さんは御存じだと思う。この方は最後に民俗学に傾倒されていかれるわけです。ここからはまた私の推論ですけれども、おじいさん渋沢栄一さんが西洋の仕組みを取り入れて競争原理というのを取り入れたんです。これでいいのかという疑問を持たれて、おじいさんのやられたことを修正しようとされて民俗学のパトロンになられたんじゃないかと思います。

篠原孝

1975-06-03 第75回国会 参議院 逓信委員会 第8号

木島則夫君 KDD会長につきましては、先ほど森委員の御指摘がございましたように、渋沢敬三会長のときに一度廃止されたと聞いておりまして、その後、浜口会長時代にこれが復活をしているわけであります。  これも板野社長にお伺いをしたいのでありますけれど、世間の一般常識から言いますと、社長会長になるのがごく普通の形であろうと思いますけれど、今回、そういう形をとっておりません。

木島則夫

1965-10-26 第50回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

で、会長日本医学界の最長老である故塩田広重博士理事長に故渋沢敬三氏がなられまして、常任理事並びに理事には吉田富三博士武見太郎博士及びここに御出席黒川利雄博士外日本ガン専門学者を網羅しておりまして、これに植村甲午郎氏らの財界人をまじえております。で、日本ガン協会東京に本部を置きまして、全国都道府県に現在三十の支部を持っております。ほとんど全国的な形をとっております。  

笠信太郎

1961-02-04 第38回国会 衆議院 予算委員会 第3号

近ごろにおける市街地の価格の高騰は文字通り飛躍的でございまして、日本不動産研究所、これは渋沢敬三先生会長であるかと思いますが、私はこの不動産研究所を非常によく知っておるし、日本で最も信頼すべき機関でありますが、この調べによりますと、昭和三十年三月を一〇〇として、昨年の九月は三三〇、すなわち三・三倍の暴騰であります。また同じ期間に一般卸売物価はわずかに二・七%しか上がっておらない。

野田卯一

1956-02-28 第24回国会 参議院 逓信委員会 第6号

これははなはだ御本人を前に置いて失礼かもしれませんが、この電電公社梶井総裁という方、あるいは国際電電渋沢敬三君という方がおられる間は、これは株を二割持っておっても円満にいくかもしれない。しかし、もし不幸にして梶井総裁あるいは渋沢敬三社長のような、まことに人格からいってわれわれが絶対に信頼し得る。だから、そういうような状態ならば、私は心配ないと思います。

山田節男

1955-12-16 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第8号

しかし先般前郵政大臣が依頼されました原安三郎渋沢敬三両氏並びに発起人総代に選ばれました水野成夫氏、これらの方々から聞きますと、先ほどお話しになりましたように、株式は出版界から一億円、いわゆる財界方面から一億円、次に聖パウロ修道会ですかから五千万円、その他は別途に考慮中、そういうことの非公式な報告は受けております。  

浜田成徳

1955-12-12 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第6号

森本委員 時間があまりないようですが、この問題はかなり重要ですから、この次に質問をしてもいいと思うのですが、もともと大臣原安三郎氏と渋沢敬三氏にこの再建策の依頼をした。ところがその当時本委員会においてもとの文化放送が問題になっておりましたので・この株式会社改組の問題についてはわれわれも非常に注目をしておった。ところがその財団法人のままで今度は中島久万吉という方が途中でぽっくり出てきた。

森本靖

1955-12-12 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第6号

それで松田郵政大臣原安三郎渋沢敬三両氏に事態の収拾を頼んだ。それで私といたしましては、このことはそう簡単でない。財団法人として免許し、そうして高尚なる放送、理想的な放送をやるように要望しておる文化放送が、もし株式会社改組のために方向転換をして、望ましからざる放送をするようになるならば、これは問題である、そう思いました。それでその希望を原安三郎渋沢敬三両氏お話をしてあります。

浜田成徳

1955-07-19 第22回国会 参議院 逓信委員会 第13号

参考人渋沢敬三君) この問題が提起されるまでは全然圧迫を感じておりません。(笑声)非常によくやっております。お互いに仲よくやっております。今でもよくいっております。ただ将来そうなるであろうという危惧を持ったということの事実があるだけであります。

渋沢敬三

1955-06-30 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第22号

大阪外国通信         懇話会常任委         員)      加藤  正君         参  考  人         (日本放送協会         理事)     金川 義之君         参  考  人         (全国銀行協会         連合会会長)  迫  静二君         参  考  人         (国際電信電話         株式会社社長) 渋沢 敬三

会議録情報

1955-06-30 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第22号

去る二十四日の本委員会におきまして、本件につきまして参考人より意見を聴取することを決定いたしましたが、本日御出席参考人東京海外通信懇話会常任理事飯野毅夫君日本電信電話公社総裁梶井剛君、大阪外国通信懇話会常任委員加藤正君、日本放送協会理事金川義之君、全国銀行協会連合会会長迫静二君、国際電信電話株式会社社長渋沢敬三君、一橋大学教授古川栄一君、日本電気株式会社社長渡辺斌衡君及びお手元参考人名簿には

松前重義

1954-03-01 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第18号

しかし今日では渋沢敬三君も代表取締役ではない。国鉄関係のない松井巻生氏を社長に、そのもとに商事の監査役でありました伊藤滋君という、これは建築権威者であります。目下建築工事を施工中でございますので、やはり建築専門家というものも必要と認められたのではないかと思います。そういうわけで、決してたらいまおしとかなんとかいう意味ではないと私は確信いたしておるのでございます。

長崎惣之助

1953-11-09 第17回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

庇を貸して母屋を取られるということになるので、昨日も加賀山社長の説明によれば、財閥とか何とかということには何ら手を染められてはおらない、殆んど国鉄関係者、或いは退職者によるところの零細なる資本をかき集めておる、こうおつしやるのですが、帰つてから資料を見ると、渋沢敬三が入つておる、早川愼一という大物が入つておると、いうようなことで、その内容がなかなかうまくできておるので、今日は会館のがたが見えてないから

小林亦治

1953-07-29 第16回国会 衆議院 決算委員会 第21号

調査に入るに先立ちまして、明三十日の調査の予定になつております国鉄所管中、株式会社鉄道会館審議参考人として鉄道会館会長渋沢敬三君、同社長加賀山之雄君、同専務取締役立花次郎君、同じく伊藤滋君、また日本交通公社から同会長高田寛君、専務理事三原種雄君、同監事近藤栄一君及び鉄道弘済会から同会理事長西尾寿男君、同国鉄監理委員会から委員長佐藤喜一郎君、委員佐々木義彦君、同阿部藤造君、同工藤義男君、同村田省蔵

田中彰治

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